家族の歴史

家族の歴史
FAMILY HISTORY木とともに歩んできた、家族の記憶。
もうひとつ、YADORIGIには「日本の木を活かしたい」という想いがあります。この話は、私の家族の歴史です。
1945焼け野原の東京
私の祖父は、第二次世界大戦後に満州から引き揚げて、焼け野原となった東京に降り立ちました。目の前に広がっていたのは、空襲で焼き尽くされた街。高い建物もほとんど残っておらず、遠くまで見通せるほどだったそうです。
1946神宮球場の近くで
1946年、祖父は東京・神宮球場の近くで「材木商」を起ち上げました。起業した理由は定かではありませんが、食べていくためだけではなく、日本の復興に貢献しようと考えたのだと思います。
焼け出された人々の住まいが足りず、戦後の木材需要はうなぎ上りでした。とても忙しい日々だったと聞いています。和歌山県や奈良県まで木材の買い付けに出向き、東京へ運ぶ日々。今のように道路も整備されていない中、想像もできないほど過酷な仕事だったはずです。
MEMORY木の香りの中で
やがて日本は戦後復興、高度経済成長を果たし、祖父の事業も大きくなっていきました。製材、加工、工場の建設。家庭では木の香りの中で母が生まれ、のちに私が生まれました。
幼い頃、東京・青山のオフィスに長い材木が立てかけられていたのを、うっすらと覚えています。材木が並ぶあの光景は、今でも私の記憶に残っています。
TODAY使われなくなった国産の木、そして今
その後、日本の建物は鉄やコンクリートへ、木材は安い輸入材へと移り、国産の木は次第に使われなくなっていきました。
それでも今、国産木材は再び注目を集めています。一時は2割を切った木材自給率も、いまは4割を超えるまでに回復しています。
FROM HERE祖父とは違う方法で
時代を経て、今度は私が、日本の木に新しい価値を生み出したい。祖父とは違う方法でも、木を通じて人の暮らしを豊かにすることはできる。その想いを、一つのプロダクトにしようと生まれたのがYADORIGIでした。
祖父が木材を通じて日本に貢献したように、私も国産木材を通じて、人が笑顔になる商品を届けたい。このブランドを丁寧に届けていくことで、誰かを笑顔にし、循環のサイクルを生みだし、日本の森を守ることに貢献できればと考えています。
お酒を楽しむ時間を、もっと豊かに。そして、その一杯が日本の木を活かし、森の未来へつながっていく。人の時間と、森の時間。その両方を豊かにするブランドを目指して、YADORIGIを、ここから育てていきます。
株式会社LEVEL1 代表取締役 加藤一馬